Andromeda MagicalNight 劇団「言触」(Ayame/伊澤恵美子)台本

Andromeda MagicalNight  劇団「言触」(Ayame/伊澤恵美子)台本


京都・六月五日


1『灰野乱羽−断片』

灰野−ごめんよ、すまねえな、相席で。俺もちょいと雨宿り、させてもらうぜ。いきなり降ってきちまったなあ。まあ、夕立なんてものは、いつだってこんなもんだ。夏の盛りの通り雨だ。このまんま濡れて帰っちまってもいいんだが、急ぐ用もねえし、世話をかける身内もいねえ。お前さんのような別嬪と御堂の軒下で雨やみを待っていたほうがおつってもんだ。住まいはどこだい? へえ、けっこうなところに暮らしているじゃねえか。俺の「孔雀長屋」とはえらい違いだ。ええ? 名ばかりだよ。間口九尺、奥行き二間で、「くしゃく長屋」だ。ああ、お前さんとこの長屋のとっつきにな、朱鷺って女がいるだろう。お絵師の朱鷺だ。知らない? なんだ、三日前に越してきたばかりかい。それじゃ知らないわけだ。おっと、すまなかったな、俺ばかりあれこれ聞いちまって。
 誰だ、そこにいるのは? なんだ、子供じゃないか。お前、どこの娘だい、どうしたんだ、何か困ったことでもあるのか、黙っていたんじゃ判らないぜ。ええ? 善悪の彼岸? それはな、ニーチェって人が言ったことだ。理性が眠るとき、怪物が目覚める。それはゴヤという絵描きの言葉だ。頭を使え? そりゃあ構わないが、ベケットもそう言ってるからなあ。お前、本当にそこにいるのか?」

わたしはあなたの夢です。

灰野−ああ、それは俺がこしらえた台詞だ。ずっと昔。正直に言っちまうと、俺がこうして喋っているのは、全て台本に書いてある言葉なんだ。なんだって? あとは沈黙? それはハムレットの最後の台詞だ。お前が口にしているのはみんな他人の言葉だな。


2『口上』

今日、この場所で、空間と時間をみなさんと分かち合えたことに感謝します。ぼくはよく、どこまでが演劇で、どこから演劇ではなくなるのか、一人で考えます。こうして、いま、しゃべっている言葉、この言葉は演劇の中にあるのか、それとも外にあるのか? これが演劇の台詞なのか、舞台挨拶なのか、どうやって見分ければよいのか、考えます。世の中のあらゆる物事を、演劇とそうでないものに二分したとして、ぼく自身はどちらに含まれるのかと考えます。ぼくは演劇がかけがえのない価値のあるものだと思っている訳ではありません。ただ、それがなにかしら意味のあるものであってほしいと願っています。この演劇の場に立ち会った皆さんにとって、演じるぼくたちにとって、この場にいない全ての人々の日常にとって。ぼくは演劇の台本を書きます。そこには会話があり、散文があり、詩があります。誰かのために書いた台詞もあれば、そうではないものもあります。では、これは一体、誰の台詞なのでしょうか。


3『プロローグ』

一通の手紙から物語が始まった
差出人の名前も住所もないその手紙には ただ一行、こう書かれていた
「こんな風に世界が終わってしまって、あなたはそれでいいの?」

ラジオニュースではアナウンサーが狂ったように叫んでいた
世界中、628の大都市が今、燃え上がっているという
どこかの国の大統領が 非常事態宣言を発令したところで
突然放送は中断された
残されたのは空電、雑音、ノイズ

いったい何人が気づいただろうか
ノイズの中に隠された巧妙なシグナルに。
まずは記憶回路をリセット 類推する論理システムをOFF
ゆっくり周囲を見回してみる
見せかけの遠近法が消滅し 世界がぼんやりとした曖昧なものになる
薄明の中から灰色の脳細胞が立ち上がり
聖なる暗号は解析される

ゆっくりと、そして素早く
ゆっくりと、そして素早く

明日、世界が灰と瓦礫に化そうとも、私はこの手紙の返事を書こう
ただ一行、
「待っているわ」と。


4『再会』

老人「誰だ、そこにいるのは?」

誘「ご無沙汰しておりました」

老人「ああ、久しぶりだな。あれから、もう」

誘「十五年になります」

老人「そんなになるか。どうしていた」

誘「嫌な事がたくさんありました、辛いことや悲しいことや苦しいことや」

老人「そうか、演劇を忘れていなかったのか」

誘「私の力を確かめてもらえますか?」

老人「え?」

誘「あの頃できたことが今でも変わらずにできるのか、確かめたいんです」

老人「それはかまわないが、できなかったらどうする。俺は古い思い出だけで生きているから、もしそれが失われていると知ったら、生きるのをやめるぞ」

誘「私はまもなく死にます。そうならなくても、精神が崩壊します」

老人「呪われた、のか?」

誘「はい、たぶん」

老人「そうか、ダメなら言触は終わりなのか。そうか、よし、やろう」


5『桜の樹の下で』

きみが立っているのは古い病院の中庭だ。
とても古くて、とても大きな病院だ。
建物は、一階、二階、三階だて。
中庭に面した窓がある。窓から病室の中が見える。
さあ、歩こう。窓辺で本を読んでいる人がいる。
果物をむいている女の人がいる。看護婦と口げんかをしている老人がいるぞ。ほら、頭に包帯を巻いた女の子が、きみに手を振っているよ。
きみも手を振ってあげよう。
中庭には桜の樹がある。いまは春で桜が満開だ。
風が吹いた。きみの上にざあっと桜の花びらが舞い散る。
誰かが泣いているよ。
小さな男の子の背中。きみは男の子の肩をポンと叩く。
きみの中から何かあたたかいものが流れていった。
何だろう、この感じは。
男の子が振り向く。
男の子はびっくりしたような顔をしたけれど、
きみの笑顔を見て、すぐに泣くのを止めた。
ほら、男の子が笑ったよ。
元気よく走っていった。
そうか、きみのてのひらには人を幸せにする力があるんだね。
さあ、まわりを見てみよう。
悲しみで苦しんでいる人々が大勢いる。
きみは走っていってその人たちの肩をポンと叩く。
ほら、絶望の表情が消えた。みんなに笑顔が戻ったよ。
きみは喜びを感じる。世界中の人々を、きみの力で幸せにしたいと思う。
おや、向こうから看護婦が歩いてくる。何かきみに用事があるようだ。
看護婦はきみに小さなメモを渡す。
きみはこの病院に、きみのとても大切な人が入院していて、そしてたった今、その人が亡くなったことを知る。
きみはメモを握りつぶす。
きみの胸は悲しみではりさけそうだ。
きみは悲しみを癒そうと手のひらを胸にあてる。
でも駄目だ、悲しみは消えない。
きみの力は他人を幸せには出来ても、きみ自身を幸せにすることは出来ない。なんて残酷なんだろう。
きみは泣きながら空を見上げる。桜の花が見えるよ。満開の桜だ。
こんなに悲しい時なのに、どうしてこの桜はこんなにも美しく咲いているのだろう。
きみは桜の幹に片方の手をあてる。
すると、樹の中を水が流れているのがわかる。
とくん、とくんと流れている。
きみはもう片方の手を自分の胸にあてる。
さっきは気づかなかったけれど、きみはきみの心臓の鼓動を感じる。
とくん、とくんと静かに脈打っている。
きみは思う、ああこんなにも悲しい時なのに、きみは生きているんだ。
きみの命は生き続けているんだ。
桜の樹の中を水が流れる。とくん、とくん。
きみの中を血がながれる。とくん、とくん。
二つのリズムが重なる。とくん、とくん、とくん、とくん。
突然、きみは気づく。きみの目の前に、きみの大切な人が立っている。
涙で顔はくしゃくしゃだ。でも悲しみの涙じゃなくて、喜びの涙だ。
どうしたんだろう、何が起きたんだろう。
きみは理解する。病院に入院していたのは実はきみだったのだ。
頭を触ってごらん、ほら、包帯が巻いてあるだろう。
きみは事故で頭を強く打ち、随分長いこと意識が戻らず、ずっと眠り続けていたんだ。
きみの病室には大勢の人がいるよ。
みんな喜んでいる、そしてみんな泣いている。きみは生きている。
窓から桜の樹が見える。
さあっと風が吹いて、きみの病室に桜の花びらが舞い込む。
きみはそのひとひらをそっとてのひらにうける。


6『鳥の森 ラチャダピセーク』

老人「呪いは離れたか?」

誘「ダメでした、あと少し、もう少しだったのに。誰かが私を罵倒しています、嘲笑っている。私には一人のファンもいなくて、私は無名で、誰も私のことを知らない、誰にも私が見えない。終わります、私の心が死ぬ」

老人「秘密の名前を思い出せ、お前のもうひとつの名前だ。お前は鳥の森にいる。タイのバンコク、ラチャダピセークの高層ホテルの裏にある小さな森だ。そこで死にかけているのはお前ではなくて俺だった」

誘「起きて、コンジープン、あなたの時間が始まるわ」

老人「俺は彼女を美しいと思うことを恐れた。そう思った瞬間に、それは消えてゆくから。」

誘「コンジープン、どうして笑わないの」

老人「俺たちの精神は穴だらけだ。大切なものはみなこぼれ落ち、すべり落ち、手のとどかぬ場所へ飛び散ってしまう。歴史や、思い出や、名前のない夢や、名づけようのない感情を片っ端から肉体がかき集める。タンパク質やアミノ酸や体液の中に吸収された記憶は、やがて死滅する脳細胞が道連れにする。それはまるで忘却の機械だ。風呂場やトイレの排水孔から流れ出した記憶は、やがて森でひとつになる。」

誘「あきらめないで、あなたは決して独りぼっちじゃない、わたしがいるわ」

老人「でも、明日はいない」

誘「マイペンライ、いまいるんだからいいじゃない」

老人「チェンマイ生まれの娘が微笑む。ああ、そうか、そういうことなのか。明日世界が滅ぶなら、いま きみ にふれているだけで俺はすべてを忘れる。俺が存在したことさえも。」

誘「わたしたちはきっとまた出会うことになるわ」

「なぜわかる?」

誘「森を見たんでしょう?」

「ああ。でも…」

誘「でも?」

「入らなかった」

誘「コンジープン、あなたは勘違いをしているわ。森に立ち入らなかったのは、あなたのカラダ。魂は森の中にいたのよ」

「きみの名前は?」

誘「名前はリン、わたしのチューレン

老人「チューレン…、仮の名前か。どういう意味なんだ?」

誘「リンは…、そそぐ、グラスに水をそそぐ」

老人「お前は秘密の名前を明かした、俺たちはお前の名前を知った、俺たちはお前をみている、俺たちはここにいる、観客と女優が揃った、ここはお前の世界だ、破壊されるのは肉体だけだ、心霊はここに立ち会ったものが守る。お前が持っている暴力を解き放してやれ」

誘「大丈夫、できます」


7『予兆・預言者・夢』

二十世紀がまもなく終わる頃だった。
少女は瓦礫の庭で泣いていた。

一緒に遊んでいたこどもたちは、
みなそれぞれの宝物を手に入れて去っていった。
甘い匂いのお菓子や、透きとおった青い鉱石や、精悍な若者の舞踏や、良い魔女だと噂される歌姫のアリアや、少し欠けてしまった黒いボタンや、宝物はどれもみなこどもたちの【外側】にあったから、それらは見たり・聞いたり・嗅いだり・触ったり・口に含んだり出来るソンザイだった。

けれども少女の宝物は彼女の【内側】にあったので、
誰もそこに「奇跡のようなモノ」があるとは知らなかったし、
少女自身にもそれを視ることは不可能だった。

咲き乱れるシロツメグサの葉の下で、きらっと光るモノがあった。

小さなナイフだった。

このナイフで私の体を切り開けば私は宝物を掴めるだろうか、

と少女は思った。
注意深くナイフを拾い上げると、それは俺の忘れ物だ、
と声がした。
小柄な老人が草むらに寝ころんでいた。
「素足で泥の中に立ち(わたしは裸足で立っていた)、
ポケットの中の飛び出しナイフを握りしめ
(わたしの右手はナイフのひんやりとした柄を握っていた)、
夜空の星を見上げているのが芸術家だそうだ」、
と老人が言った。

それは誰の言葉ですか、

そう聞き返そうとした瞬間、
少女は手の中のナイフが消えていることに気づいた。
「選ばれたんだな」、と老人は笑顔になり、
それから「開け」と言った。
少女の【内側】からナニカが飛び出した。
炎のようにみえるナニカは、少女が暮らす町を燃え上がらせ、世界を焼き尽くした。

やめて、と少女は悲鳴をあげた。
「戻れ」、と老人の声がした。
少女は夏の匂いがする庭に立っている。
「いまのは?」 と老人にきいた。
「暴力だ、お前の中にある」
老人は厳しい表情で答え、
「もう一度やってみよう、開け」と言った。
少女の【内側】からナニカが飛び出した。

雪のようにみえるナニカが舞い上がり、
桜の花弁のように落下した。
賑やかな音楽と、大勢の人々の笑い声や話し声がした。
美しい庭で園遊会が開かれていた。
三階建ての洋館のバルコニーで男が叫んた。
——言葉。言葉、言葉、もっと言葉を——

「閉じろ」、と老人の声がした。
少女は冬の匂いがする庭に立っている。
「いまのは?」 と同じ質問をした。
「演劇だ、お前の中にある」。老人は泣いているようだった。「もう一度だけやってみよう、開け」、と老人がつぶやいた。
世界が暗転した。少女は映画館の中にいた。
映写機が回る音がする。

スクリーンに写っているのは白いベッドが置かれた白い部屋。

病院かしら?

ベッドに横たわる人物にカメラが近づく。年老いた女性の鋭い視線がまっすぐに少女を見据えた。

あのおばあさんは私だ、

と少女が思ったのが合図のように、老女が

—待っているわ— と言った。

少女は瞼を閉じ、心の中で

「戻れ/閉じろ」 とささやいた。

目を開けるとそこは割れたガラスが散乱する廃墟の庭だった。
夢だったのかしら、と思ったが、
小柄な老人が立っていて、少し悲しそうな顔をして
「お前一人でも大丈夫か?」と訊いた。
少女は一度深呼吸すると、老人の目を見ないようにして、

はい、

と答えた。
ながい沈黙の後、老人は最後の言葉を残した。
「名前は?」

「イザワ。イザワエミコ、いえ、今は、誰でもない私です」




平成二十七年六月五日
言触 上演台本
企画制作・赤堀裕子
作・鈴木大治(Ayame)
出演・Ayame 伊澤恵美子
演奏・マジカルパワーマコ
場所・京都伏見 アニーズカフェ

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